二つの盾

 

――やっぱり…甘かったかな?

 

 神山彬(男子5番)は、背後を見やりつつそう思った。“甘かった”というのはもちろん、藤村賢二(男子16番)を殺さなかったことである。

 

――けど、あのスタンスは今後役立つかもしれないし、一人でも盾は多いほうがいいからな。古山さんが優勝するためにもな。

 

 彬の目的―それは、古山晴海(女子5番)を優勝させること。けれど、それは晴海自身のためではない。晴海に深く関わる、ある人物のためだった。

 そのためなら人を殺す覚悟も、恨まれる覚悟も、もちろん自分が死ぬ覚悟もできている。そのため万が一に備えて、あらゆる手段を尽くしてプログラムについて調べあげ、銃器に関してもそこそこの知識を持っていた。江田大樹(男子2番)横山広志(男子19番)の武器の名称を当てられたのもそのためである。もちろん選ばれないことが一番良かったのだが、皮肉にもそれは現実となってしまった。

 

――残りは多くて十五人。しかし、さっきの銃声で誰かが死んだ可能性がある。一応誰か確認する必要があるな。誰が残っているのか、把握しておかないと。

 

 実は大樹と広志に会ったときも、そこに向かう途中だったのだ。二人がやる気でなかったことは収穫ともいえるが、脱出を目論んでいることは、完全な想定外であった。

 

 確かに大樹に関していえば、そこそこ機械に詳しかったことは、さほど関わりのない彬でも知ってはいた。しかし、そこから首輪を外して、脱出しようとする発想まで浮かんでくるとは思わなかった。そこに、“要注意人物”である広志が関わっていたことも。

 脱出に関していえば、彬も考えなかったわけではない。生きて帰れる方法があるなら、それに越したことはないからだ。しかし、それでは“犯罪者”となってしまい、国から追われる立場になってしまう。それでは彬の目的は達成されないのだ。だからこそ、晴海には“優勝者”として、元の生活に戻ってもらう必要がある。

 

――江田と横山を逃がしたのは大きいが…まぁいいか。古山さんを殺しさえしなければ、今すぐに殺す必要はないからな。

 

 あくまで最優先事項は、古山晴海を死なせないこと。そのためには、生かしておくべき人物もいるだろう。やる気にならないであろう晴海にとって、脱出を考えている二人は、味方にはなるだろうが敵にはならないはずだ。もちろん脱出などさせるわけにはいかないので、いつかは殺さなくてはいけないし、次会ったときは容赦なく攻撃するつもりではいるけれど。

 もちろん、他にも生かしておくべき人間はいる。いつかは殺さなくていけないが、晴海の所在が分からない今、むやみに人数に減らすわけにはいかない。

 それに、広志や賢二を相手にして、右腕とこめかみのかすり傷程度で済んだことも上々だろう。今もズキズキ痛むし、撃たれたときなど、思ったよりもすごい衝撃に視界がぐらついたが(銃弾って痛いのだと、妙に納得した)、行動には支障はない。既に血も止まっている。この程度の怪我など、彬にとってはどうでもいいことだった。

 

 周囲を警戒しつつ、歩を進める。人数も少ないが、動けるエリアも狭いのだ。誰かに遭遇しないとも限らない。慎重に、けれど少しばかり早足で移動していた。早く晴海を見つけたい。見つけて、誰にも殺させないようにしないといけない。伝えなくてはいけないことがある。それに――

 

『こ、古山さんに、会ったら…伝えて。』

 

 果たさなくてはいけない約束が、ある。

 

――本田さん…。

 

 もう随分前のこと。昨日の昼ごろの話になる。結果的には、彬が殺したことになる本田慧(女子13番)のこと。実は彼女に関しては、少しばかり心が痛むところがあるのだ。

 

 おそらく慧は、彬の持っている銃は本物だと思っただろう。しかし残念ながら、先ほど大樹達に告げた通りゴム弾なのである。そのため、弾が当たっても即死ではなかったはずだ。おそらく、転落死という形になるだろう。慧を助けたことは、気まぐれ以外の何物でもなかったが、わざわざ銃で止めを刺したのは、ゴム弾の威力を試すという目的もあったのだ。

 

――あの世に行ったら、真っ先に本田さんに謝らないといけないな。実験台みたいな形にしたのは事実だし。せめてもの罪滅ぼしというわけじゃないけど、言われたことは伝えないとな。そのためには古山さんだけじゃなくて、矢島さんにも会わないと。

 

 慧との約束を果たすためには、晴海だけではなく矢島楓(女子17番)にも、生きているうちに会わなくてはならない。できれば、二人一緒にいることが望ましい。楓の性格上、晴海を守ろうとしている可能性は高いからだ。

 

 そんなことを考えている間に、大分距離を移動したようだ(もちろん、周囲への警戒は怠らなかったけど)。どうやら目的地に近づいているらしく、鉄のような―そう、血のような臭いが鼻につく。それに、何ともいえない異様な空気が漂っている。第六感とやらは信じない主義だが、気のせいだとやり過ごせるものでもないらしい。

 しばらくして、少し開けたところへと辿りつく。そこには、三人の人間が倒れていた。全員動かないところからして、死んでいることは間違いないようだ。しかし奇妙なことに、全員仰向けに倒れており、両手を胸の上で組み合わせていた。おそらく、別の誰かがそうしたのだろう。

 

 彬から一番離れた場所に倒れているのが谷川絵梨(女子8番)。パッと見では目立った外傷はないようだが、組み合わせた両手の下が真っ赤に染まっている。おそらく胸を撃たれた、もしくは刺されたか何かしたのだろう。

 その割と近くに倒れているのが月波明日香(女子9番)。これは分かりやすく額のところに穴が開いていた。倒れている様子からして、おそらく頭の後ろ側はほぼなくなってしまっているだろう。先ほどの銃弾のうちに一発は、明日香の命を奪ったということが推測される。

 そして、彬の一番近くに倒れているのが白凪浩介(男子10番)だった。これは、彬にとっても意外であった。広志の言葉ではないが、そう簡単にやられる奴ではないと思っていたからだ。彬にとっての“要注意人物”を、誰かが倒したということになる。よく見てみると、腹部のところに大きめの穴が空いている。おそらく、ここに被弾したのだ。

 

 周囲を見渡す限り、他に目立った情報はないようだ。しかしこの状況だけでも、何が起こったか想像することはできる。

 

 おそらく先ほどの銃声の結果、この三人が死亡した。そして、他にも関わった人間がいる。それが三人のいずれかを殺した人間か、もしくはそうではないのか。それは分からないが、少なくとも関わった全員がやる気というわけではないだろう。そして大樹、広志、おそらく賢二も除いた、別の誰かであるということも。

 

――なるほどな。

 

 ふぅと息を吐く。これで、残りは多くて十二人であることが判明したのだ。男子七人、女子五人。その中には晴海も、晴海の友人である楓も含まれている。

 

――どうしようかな…。本物の銃も手榴弾も、藤村のおかげで手に入ったし。もう片っぱしから殺してもよさそうなものだが、その前に古山さんの安否、というか怪我をしていないかどうかも確認したい。やはり探す方を優先した方がいいかな?

 

 そんなことを考えている間に、背後からカサッという音が聞こえた。すぐにバッと振り向く。しかし、そこに立っている人物が誰か分かった途端、少し―ほんの少しだけ警戒心を緩めた。おそらくプログラムに乗っていないであろう人物であり、そして今は、まだ殺すことを躊躇われる人物であったため。

 

「神山…。これ…お前がやったのか…?」

 

 そう小さく問いかけながら、萩岡宗信(男子15番)は、腰に差してある刀(おそらく脇差だろう)に少しだけ手をかけていた。すぐに否定しようと思ったが、ふと脳裏に浮かんだものがあり、一瞬にしてその言葉を飲み込んだ。

 これで彬が“Yes”と答えたら、宗信はどんな反応をするのだろうか。少し―ほんの少しだけ、興味があったから。

 

――俺が白凪を殺したと言ったら、お前を俺を殺そうとするか?人を殺せそうにないお前が、その刀で容赦なく切りかかってこれるのか?

 

 少しだけ嘘をつきたくなる衝動に駆られるが、やはり何も利益はないと思い、止めた。ここで下手な争いは生みたくない。それに宗信には、まだ生きていてもらったほうが好都合だ。

 

「いや、俺も今来たんだ。俺じゃないよ。」

 

 それは予期していた答えだったのか、宗信は「そうか…」と言うだけだった。そして、力ない足取りでこちらへと歩んでくる。自然と身体を避けて道を開けてやる形になる。彬の存在など目に入らないかのように、宗信の視線は、浩介の遺体ただ一点に注がれていた。

 

――そういえば…

 

 もう一人の友人である乙原貞治(男子4番)も、既に四回目の放送で名前が呼ばれていたことを思い出した。浩介も失った今、宗信はどんな気持ちでいるのだろうか。少しだけ、興味があった。

 辛いことには違いないが、殺した相手に恨みでも抱いているのだろうか。友人想いであり、熱血漢でもある宗信の胸中は、どんな感情で彩られているのだろうか。その気持ちはきっと、友人などいない彬には理解できないだろうが。

 

『聡は…お前のこと、悪い奴じゃないって言ってた。』

 

 なぜかフラッシュバックするのは、以前会った霧崎礼司(男子6番)の言葉。ふいに浮かんだその言葉を、頭を軽く振ることで強制的に振り払った。

 

 そんな彬のことなど目に入っていない様子の宗信は、浩介の遺体の傍にしゃがみこみ、静かに両手を合わせていた。性格上、もっと感情を露わにするかと思っただけに、この行動は中々意外であった。

 宗信がゆっくりと立ち上がる。こちらを振り向き、彬の方へと視線を合わせてきた。悲しみに帯びたその瞳には、揺らぎない決意が色濃く映しだされている。

 

「古山さんか、矢島さん…見なかったか?」

 

 ある意味、予想通りの質問だった。どうやら目的は同じであるようだ。なら、やはり宗信には、このまま生きていてもらったほうがいいだろう。ただできれば、その質問をオウム返しに聞きたかったのだが。

 

「いや、二人とも見ていない。」

 

 それだけ言うと、宗信は「そうか…。」と言って、ゆっくりと歩き出す。その足取りは、ひどく重たいように見えた。

 

 今の彼を動かす動力は、きっと探し求めている想い人の存在、ただそれだけだろう。それすら失くしてしまえば、きっとその足は容易く止まってしまうだろう。それは強さでもあり、同時に脆さでもある。たった一つの大きな柱だけが、今の宗信を支えている。

 

 そんな宗信の背中を見て、ふと聞きたくなった。

 

「萩岡。」

 

 彬の呼びかけに、宗信は足を止める。そして、ゆっくりと振り向いた。先ほどと変わらない悲しみに帯びた瞳。今度はその瞳に、少しだけ光るものがあった。

 

「仮に…仮にだ。もしお前が、このプログラムで優勝できる人間を一人選べるとしたら、今生きている人間の中で、一体誰を選ぶ?もちろん、自分自身も含めてだ。」

 

 彬の質問が意外だったのか、宗信の瞳が大きく見開かれた。きっとその頭の中では、質問の答えを必死で考えているのだろう。残りは十二人。その中には、自分自身も含まれている。その中で一人、必死で選んでいるのだろうか。

 彬の答えはもちろん、“古山晴海”だ。果たして宗信は何と答えるのだろうか。同じ回答だろうか。それとも、自分と答えるのだろうか。それとも、もっと別の―

 

「わかんねぇよ…。」

 

 彬が思ったよりも、宗信は早く答えていた。それも、かなり意外な回答を。

 

「だって…今生きている人間も、もう…死んでしまった人間も、誰一人として死んでいい、死ぬべきだった人間なんていないんだ…。なのに、俺一人のエゴで…、一人なんて…選べるわけないだろ…。」

 

 “誰も選ばない”――いや“選べない”。それが答えだった。目的のために全てを切り捨てる覚悟でいる彬とは、正反対に近い回答だった。

 

「ただ…」

 

 小さく宗信が呟く。その言葉の続きが聞きたくて、ただそれだけのために、彬は静かに宗信に視線を合わせる。

 

「自分だけは…選ばない。自分だけが生き残ることだけは…それだけは嫌なんだ。」

 

 その言葉を聞いて、妙に納得した。なんとなく、宗信らしい回答だと思った。

 

 守るために全てを排除しようとする彬と、守るために自身が盾になろうとする宗信。守りたい人は同じなのに、その手段はあまりにも違う二人。目的は同じなのに、対極にいる二人。

 きっと、交わることはないのだろう。

 

「…そうか。」

 

 そう口にした時、少しだけ笑いがこみ上げてくるのが分かる。これは、大樹や広志に向けた歪んだものとは違って、どちらかといえば、慧に向けた微笑みに近い類いのもの。

 あぁ、きっと自分は面白がっているのだろう。そう自覚した。

 

――てっきり古山さん、挙げるかと思ったんだけどな。でも…ある意味萩岡、お前らしいよ。だからかな、少しだけ羨ましいと思うのも。白凪や乙原といった友人ができるのも。

 

「中々面白い回答が聞けて良かったよ。何となく、お前にいい奴が集まるのも分かる気がするな。」
「そうなのか?」

 

 そう疑問を口にする宗信の横を通り抜け、ゆっくりと歩き出す。撃たれていない左手をひらひらさせながら、宗信の方を見ずに言葉を口にした。

 

「じゃあな、萩岡。多分、お前とはまたどこかで会える気がするよ。そのとき運がよかったら、面白いこと、教えてやれると思うよ。」

 

 それだけ告げた後、彬は後ろを見ずに歩き出した。そんな彬に、「神山!」と声がかかる。その声は、どこか礼司のものとかぶって聞こえた。

 

「あの…、藤村には…その…気をつけろ…よ…。」

 

 少しだけ言いにくそうに、宗信は警告してくれた。それは既に知っていたことだけど、「そっか。サンキュ。」と答えておく。

 

――しかしまぁ、一体どこまで人がいいんだよ。お前、殺されかけたくせにさ。

 

 足取りを緩めることなく、彬はその場を後にした。歩いていく最中、ふいに懐かしい声が聞こえたような気がした。

 

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