先手必勝

 

――行動を起こすなら、早いほうがいい。

 

 矢島楓(女子17番)は、そう結論づけた。ほんの二十分ほど前、古山晴海(女子5番)と潜んでいた民家に宇津井弥生(女子2番)が訪ねてきたとき、言い知れぬ不安を覚えた。そして、いつかは弥生が裏切り、晴海を殺すのではないかという恐ろしい仮説まで浮かんだのだ。もちろん、そんなことをさせるわけにはいかない。

 なら、敢えてこちらから触発し、あぶり出そうと思った。手を打つならなら早めにしないと、晴海に危険が及ばないとも限らない。

 

――宇津井さんが行動を起こすなら、おそらく晴海と見張りをしているとき。なら、その前に私と見張りをするように仕向けないと。そのときにあぶり出せばいいし、晴海も少しは休めるはず。

 

 そう策を練ると、話し合いの際、一番最初に休憩するよう晴海に強く勧めた。てっきり反対するかと思った弥生が、意外にもその意見に賛同したため、最終的には晴海が折れる形で一番最初に休憩することになった。ちなみに次が弥生、最後が楓となっているが、おそらくこの順番に意味はない。

 一応弥生の身体検査も行い、カミソリ以外には何も持っていないことは確認済みだ。それと、これまでの経緯も互いに話してある(もちろん楓のことに関してはほぼ伏せている)。弥生は聞く限り、ほとんど誰にも遭遇しなかったようで、乙原貞治(男子4番)の遺体を発見したことと、間宮佳穂(女子14番)に遭遇したけど逃げられてしまったことくらいだったようだ。ちなみに佳穂は、マシンガンらしきものを所持していたらしい。

 

 順番を決めた後、晴海が二階に上がっていくのを見届けてから、楓は右手のワルサーをギュッと握りしめる。なぜ弥生が楓の案を飲む形で賛同したかは分からないが、こちらとしては好都合だ。これで一階で何があっても、晴海に危害は及ばない。一応二階から侵入することも考慮して、晴海にはそのままブローニングを持たせてある。弥生は銃を持っていない。なら、何があっても対処できるはずだ。

 

 それからたっぷり三十分。楓と弥生は何も会話しなかった。話すべきことは何もなかったからかもしれないし、弥生も楓の態度の不自然さに気づいているせいかもしれない。少なくとも、楓が完全には信用していないことくらいは分かっているはずだ。

 三十分経ったところで、楓はやっと重い口を開いた。

 

「宇津井さん。」

 

 すると弥生は、「何?」と至っていつも通りの調子で返事をした。聞く限りでは、不自然なところはない。

 

「乙原くんの…遺体を見たって言ったよね?」

 

 楓の質問の意図が分からないのか、弥生は少々不思議そうな顔をして「そうだけど…それが?」と返す。声の調子、トーン、それに付随する仕草。そのどれもが、本当にそう思っているかのように錯覚させられる。実際、本当に疑問に思っているかもしれない。

 

「乙原くんってさ…。何ていうか、いい人…だったじゃない?それでさ、誰が殺したんだろうって考えてた。確か宇津井さん、首のあたりを切られてたって言ってたよね。」

 

 弥生はますます眉間に皺を寄せながら、ただ「うん…。」と返す。楓の言いたいことが分からないのだろう。

 

「普通さ、真正面から誰かを殺そうとした時って、あまり首は狙わないんじゃないかな。狙う所としては狭いし、首輪が邪魔になるからね。大体はもっと確実なところ、心臓とかそういうところを狙うと思うんだ。」

 

 その言い分は最もだと思ったのか、弥生が小さく頷く。

 

「それでさ、もしかしたら…信じていた相手に裏切られたんじゃないかって思った。そしたらね、わざわざ首を狙った理由も分かる気がするの。油断させれば容易に近づいて切りつけることができるし、首を切ってしまえばほぼ即死だしね。だからこそ、こんなものを付いているわけだし。」

 

 そう言って、人差し指で自身の首を指し示す。そこには変わらず、忌々しい枷が巻きついているはずだ。体温に馴染んでいるせいか、金属特有の冷たい感触はない。けれどこの存在は、嫌でもプログラムに参加していることを認識させられる。

 

「確かに…。矢島さんの言っていることは、一理あるわね。けどさ、そしたら大分絞られない?友達の萩岡くんとか、後は江田くん?もう死んでしまっているけど、白凪くんとか…」

 

 確かに弥生の言う通りなら、真っ先に挙げられるのはこの三人だ。萩岡宗信(男子15番)白凪浩介(男子10番)は友人だし、江田大樹(男子2番)は席の関係か、最近親しい(近くに座っている楓には、二人の仲が良好だということはよく分かる)。彼らなら、貞治はまず真っ先に信頼するだろう。

 しかし、楓は小さく首を振った。

 

「そうとは限らないと思う。乙原くんみたいな人ってさ、どちらかというと人を信じようとするんじゃないかな。よほど素行が悪い人とか、あまりよくは知らない人でない限りね。」

 

 そう、貞治みたいな人間が信用するのは、何も友人だけとは限らない。貞治のような“いい人”や“人格者”は、裏を返せば疑うことを知らない“お人好し”でもあるのだから。

 

「この仮説が正しいとするならば、乙原くんが信用しそうな人物が一人、確実にプログラムに乗っているということになる。私が思うに、その人物は…おそらくまだ生きている。」

 

 貞治が呼ばれた放送を含めて、これまで死んだのは六人。おそらくその中には、貞治を殺した人物はいない。

 

 霧崎礼司(男子6番)は違うだろうし、津山洋介(男子12番)はいわば“よくわからない”部類に入るので、これも違う。

 三浦美菜子(女子15番)は、楓にわざわざ殺した人物の名前を挙げた。その中に貞治はいなかった。

 谷川絵梨(女子8番)月波明日香(女子9番)は、おそらく二人で行動していた、そのため、二人同時に裏切ったとは考えにくい(それに絵梨が貞治を殺すなんて、天地がひっくりかえってもありえないと思っている)。

 そして浩介に関しても、絶対ありえないと思っている。ただ理論的な推測を付け足すなら、浩介は銃を持っていた。はっきり言ってしまえば、近づいて首を切るなんて行為は、かなりのリスクを伴う。銃があれば、それを使った方が反撃される恐れは少ない。少なくとも、楓ならそうする。

 

 貞治を殺した人物は、おそらく銃を持ってはいない。そして、彼が信用しそうな人物であり、残りの十二人の中にいる。しかも楓と晴海を除いた、十人の中にいる。弥生がそうである確率は、十分の一。けれど、限りなく可能性の高い十分の一。

 

「…つまり、矢島さんはこう言いたいわけね。乙原くんを殺した犯人は、彼が信用しそうな人物であり、今も生きている十二人の中にいる。…私を含めてね。」

 

 その一言で、一層の緊張感が辺りを包む。楓はゴクリと唾を飲み込んだ。やはり気付いたのだ。楓が弥生を疑っていることに。

 

「でも…もし私が乙原くんを殺したなら、服とか血がついているはずじゃない…。私の制服、そりゃ汚れているかもしれないけど、血とかついていないでしょ…?どうして…私のことまで疑うの…?」

 

 しかし次の瞬間、弥生は両手で顔を覆った。そして嗚咽混じりに泣きだしたのだ。

 

 悲しい表情―いや、悲しそうな表情を浮かべていた。心優しい人なら、きっと簡単に騙されてしまうほどに、その表情は真実味を帯びていた。疑ってかからない限りは、きっと誰も信じてしまうほどに。その涙を、真実だと思ってしまうほどに。

 

「乙原くんの遺体を見たのは、確か今日の深夜で、場所はF-3だったよね?」

 

 弥生の訴えを完全に無視し、楓は聞きたいことを述べた。泣いている弥生は、ただコクンと頷く。

 

「夜なら、確認するには懐中電灯が必要だった。首が切られていることを確認するには、遺体の傍まで行く必要があった。なら、靴には確実に血がついているはず。宇津井さん言ったよね?“辺り一面血の海だった”“近くまで行って脈を確認した”って。」

 

 互いの情報を話した際、弥生は貞治の遺体の状況をこう言ったのだ。

 

『酷かったよ…。首をザックリ切られていて…辺り一面血の海だった…。近くまで行ってみて脈を確認したけど、もう…冷たくなっていて…。』

 

 実は弥生から貞治の遺体の状況を聞いた際、違和感を覚えたのだ。近くまで行ったのなら、どうして靴は綺麗だったのか。必然的に、靴も赤く染まってしかるべきなのに、弥生のそれはいつもと変わらないかのように思えたから。その疑問を突き詰めていくと、恐ろしい仮説が浮かんだ。

 

 おそらく弥生は、貞治を殺した。目撃されている可能性を考慮して、遺体を見たと嘘をついている―

 

 仮に殺したとした場合、弥生の言う“服に血がついていないこと”に関しては、ある程度推測できる。服は着替えるなりなんなりすれば、汚さなくてすむからだ。そして弥生ほどの頭脳が働くなら、服を着替えただけでなく、靴も脱いでいた可能性が高い。靴には替えがないからだ。だから靴は綺麗なのだ。

 ただ、どのように流れていたのか分からないので、血の海を避けて確認することもできなくはない。そもそも首を切ったことに関しても、動きを封じてしまえばいくらでも実行可能なのだ。

 

 だから今言った仮説は、我ながらかなり強引な仮説だと思っている。けれど、限りなく真実に近いとも思っている。

 そしてそれを証明できれば、弥生の本性を暴ける。弥生が貞治を殺したことを証明できれば―

 

「靴の裏を見せて。宇津井さん。」

 

 弥生の話が本当なら、靴の裏には大量の血が付着しているはず。けれど嘘ならば、おそらく靴の裏は土汚れしかついていないはずだ。

 

 弥生は、渋々といった感じで右足を持ち上げる。靴の裏を見ようと、楓は少しだけ屈んだ。

 

――ちゃんと見ないと。血がついているかどうか…

 

 そのとき、いきなりその右足が動いた。楓の顔面に向かって、蹴りあげるかのように。

 あまりに突然だったので、避けることができずに、モロにその蹴りをくらってしまった。丁度顎の部分に当たったらしく、視界がぐわんと歪んだ。

 

「これだから、無駄に頭のいい人間は嫌いなのよ。古山さんだけなら簡単だったのに、やっぱり矢島さんの目は誤魔化せなかったみたいね。」

 

 先ほどとはまったく違う声。冷え切っていて、淡々とした低い声。そこには、いつもの“クラス委員”や“姉御肌”の姿など欠片もない。

 本性が現れたのだ。

 

――あんたなんかに、晴海は殺させない!!

 

 今だ歪む視界の中の弥生に向かって、躊躇なく引き金を引いた。しかし、思ったよりも素早く弥生が移動していたので、その弾はかすりもしなかった。

 

――な…!

 

 二発目を撃とうとしたが、その前に弥生に右手を蹴りあげられてしまう。宙に舞ったワルサーを取ろうと、ダッシュをかけたが、その前に弥生が動く方が早かった。

 

 楓よりも先にワルサーを奪い取り、引き金を引いた。銃口を―楓に向けて。

 

 バン!という音と共に、腹部にものすごい衝撃を受け、身体が後ろに吹き飛ばされる。その衝撃に耐えられず、そのまま仰向けに倒れ込んだ。

 

「私さぁ、これでもバレー部レギュラーなの。帰宅部のあなたより、運動神経には自信があるんだよね。詰めが甘かったね矢島さん。銃さえあれば、何とかなるって思ったんでしょ?」

 

 銃口をこちらに向けながら、勝ち誇ったかのように弥生は言う。あながち間違っていないその推測に、楓は反論することができなかった。

 

「ついでに言うとさ、なんで古山さんを最初に休ませることに賛成したか分かる?古山さんはいつでも殺せるから、あなたから始末したかったからなんだよ。何かしら動くだろうって思ったしね。計画通りだったのは、実は私の方だったってこと。」

 

 思わずギリッと唇をかむ。まさかここまで予測されているとは思わなかった。弥生は分かっていて、全て分かった上で、敢えて楓のあぶり出しに乗ったのだ。

 

――マズイ…。このままじゃ…。

 

 この状況下に置いて、圧倒的に楓の方が不利だ。銃を取られてしまった上に、腹部を撃たれている。デイバックに入っている他の銃は、楓の後ろにある状態。取りに行こうとしても、おそらく弥生に気付かれてしまう。そうなれば、状況はますます不利になるだけだ。

 

――私の命に代えても…晴海を守らなきゃ…。でも…どうしたら…?

 

「宇津井さん…。楓…。」

 

 その時、凛と響く声が耳に届く。その主が誰かなんて、見なくても分かる。

 

「何…やってるの…?」

 

 その声の主―古山晴海は、階段から下りたところで、一人立ち尽くしていた。

 

 その表情は、何が起きたのかまったく理解できないといった様子で、完全なる困惑に彩られていた。

 

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