“守る”という本当の意味

 古山晴海(女子5番)の身体を支えながらも、萩岡宗信(男子15番)は、視線の先にある光景に目を奪われていた。正確にいえば、そこに横たわっている矢島楓(女子17番)の遺体から、目を逸らすことができなかった。

 

――矢島さん…?死んで…いるのか…?そこに古山さんがいるってことは…どういうことなんだ…?確か銃声は同時に三発くらい聞こえたけど、一体何があったんだ…?

 

「私の…せいなの…。」

 

 宗信が何も言えないのを察知したのか、晴海が小さな声でそう言った。

 

「私が、宇津井さんを信じたから…。何の根拠もなく、ただクラス委員だからという理由で信じたの…。でも…違った。宇津井さん、乙原くんを騙して…殺して…、私と楓のことも殺すつもりだった…。楓はそれを分かって、私を死なせないように、一人で宇津井さんの本性を暴こうとして…それで…死んでしまったの…。」

 

 そこで一度、言葉が切られる。嗚咽混じりの声で、晴海はつっかえながらも続きを口にした。

 

「それに…私…人を…殺した…。宇津井さんを…殺したの…。死ぬのが怖くて…ただ怖くて…引き金を…引いてしまった…。」

 

 そう告げる晴海の身体は、小刻みに震えている。大事な友人を失った悲しみと、人を殺してしまった恐怖で、今にも壊れてしまいそうなほどに震えている。その震えは、宗信の両手から伝わってくる。

 

――古山さん…

 

 人を殺した―晴海はそのことで、宗信から責められると思っているのだろうか。拒絶されると思っているのだろうか。

 

――人を殺したからといって…嫌いになれるもんじゃないよな…。だって古山さん、こんなにも震えているじゃないか…。

 

 このままでは、晴海が壊れてしまう。罪の重さに耐えかねて、きっと自分を責め続ける。けれど、同じ境地にいない宗信には、どう声をかけていいのかわからなかった。ただ励ますことも、質問することも、無責任のような気がして。

 だからこそ次に出てきた言葉は、自然と口からこぼれ出たものだった。

 

「なぁ、人を信じることって、そんなにいけないことなのかな?」 

 

 宗信の言葉に、晴海は「え?」と呟きながら顔を上げた。その大きな瞳には、溢れだしそうなほどの涙が溜められている。その頬には、涙を流した跡がくっきりと残っている。

 

「俺だって、宇津井さん…信じるよ。宇津井さんだけじゃない。俺は基本的には、みんなを信じたいんだ。もちろん、疑ってかかるべきだということはわかってる。でもさ…それって、自分が自分じゃなくなる気がするんだよ。」

 

 基本的にはみんなを信じたい。できるだけ多くのみんなで、この状況を打開したい。やる気になっている窪永勇二(男子7番)と出会った後ですら、宗信の気持ちが変わることはなかった。

 

「きっとさ、貞治だってそうだったんだ。だから宇津井さんを信じたんだ。変な話だけど、それはとても…あいつらしいよ。」

 

 弥生を恨む気持ちがないのかと言われれば、それはもちろん嘘になる。どう言い訳しても、どう納得させたとしても、貞治を殺した弥生を赦すことはできない。けれど、そんな弥生を信じた貞治を“バカだった”とか“人が良すぎた”とか、そんな言葉で片付けたくはないのだ。こんな状況でも、貞治は自分らしく行動した。それはとても難しいことなのに。

 

「それに、俺だって死ぬのは怖い。俺が古山さんの立場でも、おそらく引き金を引いてしまう。だから、そんなに自分を責めないでくれ。一人で抱え込んだらいけないんだ。」

 

 すると、晴海は顔をくしゃくしゃに歪ませて泣き始めた。何かマズイことでも言ったかと思ったが、その前に晴海が口を開く方が早かった。

 

「どうして…慰めてくれるの…?私…人を殺したんだよ…?どうして私を責めないの…?」

 

 あぁ、と妙に納得した。自分は人を殺した。どんなに優しい言葉をかけられたとしても、慰められたとしても、その事実は変わらない。人を殺したという事実は、決して覆らない。そしてその事実が、今の晴海を追い詰めている。

 けれど、宗信は思う。大切なのは、人を殺したという事実ではなく、その事実をどう受け止めるかであると。

 

「俺、大事なのは人を殺したことをどう受け止めるかだと思うんだ。そしてどんな理由であれ、人を殺すことはいけないことだってことも。古山さんはそれを分かってる。分かっているからこそ、苦しいんじゃないのか?そんな古山さんをただ責めることなんて、俺にはできない。」

 

 一端言葉を切ってから、続きを口にした。

 

「古山さんは、俺を信じるって言ってくれた。なら、俺も古山さんを信じるよ。何があったかは、今はまだ分からないけど、でも…今の古山さんを信じるって決めたんだ。矢島さんの代わりにはなれないけど、出来る限り古山さんこと、守るよ。」

 

 すると、晴海は首をブンブンと振った。それに合わせて、二つ結びの髪が大きく揺れる。

 

「守るなんて…言わないで…。私だって、もう人が死ぬのは嫌…。萩岡くんにだって、死んでほしくないよ。守ってくれなくていい。ただ一緒にいて…生きてほしい…。私なんかのために…命を粗末にしないで…。」

 

 その言葉にハッとする。そう、大切な人を守って死ぬ。もしかしたら、それはとても罪なことかもしれない。死んだ本人は満足かもしれないが、残された者はとても辛いのだ。

 

「俺は、簡単には死なない。」

 

 “絶対死なない”。それを言うのは嘘になってしまうので、敢えてこの言葉を口にした。

 

「俺一人の命じゃないから。浩介の分も、貞治の分も、純也や徹や忠の分、他のみんなの分まで生きるって決めたんだ。だから絶対に、命を粗末にはしない。約束するから。」

 

 晴海の命だけではなく、いわば晴海らしさというべき部分。彼女の全てを守りたいなら、自分の命を粗末にしてはいけない。晴海が自分に生きることを望んでくれるのなら、できるだけその思いに応えなくていけない。

 

 “守る”。その本当の意味は、きっとそういうことだろうから。

 

「ありがとう…。」

 

 少しだけ、晴海の表情から影が抜ける。それだけでも、宗信は安堵した。

 先ほどよりもしっかりとした瞳で宗信を見つめた後、「大丈夫。」と言って、晴海はゆっくりと立ち上がる。そして、ゆっくりと歩き出した。親友が横たわっている、その場所に向かって。

 自然と宗信も、晴海の後を追うかのようにそちらへと足を向ける。次第に楓の表情がはっきりしてくる。目は閉じられ、穏やかな微笑みすら浮かべているように見えた。

 

 楓の遺体をきちんと見て、最初に思ったのは、浩介と似ているなということだった。あの穏やかな微笑みを含ませた表情の意味が、少しだけ分かったような気がした。

 

――浩介も、矢島さんも、自分なりに満足して死んだんだな。じゃなきゃこんな顔、できるわけないもんな。きっと二人は、天国で会えているって信じているよ。そしたら浩介、今度こそちゃんと告白しろよな。俺は俺なりに、生きてできること、やってやるからさ。

 

「楓…」

 

 晴海は、楓の近くまで歩み寄り、そこにペタリと座りこんだ。そして楓の右手を、自身の両手でギュッと握りしめる。まるで病床で患者を励ます、一人の看護師であるかのように。

 

「ありがとう…。私もずっと、楓にお礼を言いたかったんだ。救われたのは、私も同じだよ。楓に会って、初めて心から信じられる友達ができた。だから…ありがとう。私と友達になってくれて、一緒にいてくれて、…守ってくれて、ありがとう。」

 

 そして握りしめる手に、一層の力を込める。

 

「私、忘れないよ。楓のこと、絶対忘れない。忘れないで、これからも生きていく。楓が助けてくれたから、簡単には死なないって約束するよ。」

 

 涙に濡れた顔に少しばかりの笑みを含ませて、晴海は力強くそう言った。そのどれもが、彼女の強さを証明しているかのようだった。その強さは、きっとこれからも色あせることはないだろうと思わせるほどに。

 

――古山さんは、やっぱり強いな。俺も彼女に負けないように、もっと強くならなきゃ。

 

 そして晴海は、そっと楓の右手を置いた。名残惜しそうに楓の顔をじっと見つめた後、静かに両手を合わせて目を閉じる。しばしそうしてから、宗信の方に向き直った。少しだけ濡れたその瞳は、真っすぐに宗信の方を見つめている。

 

「詳しいことは後で話すから。とにかく今は、ここから離れよう。」

 

 その言葉に、宗信は大きく頷いた。

 

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